笠岡小学校に長くて立派な門があるけど、なんなのこの屋門は?校門の由来とは??県庁跡?❓【笠岡市】
こんにちは!
井笠つーしんです。
ワンパターンなお決まりの登場なんですが、、、
今日は、こちらに来てみました。
じゃじゃーん!!
こちら
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わかりますか???
これじゃ~わからないよって方は、引き続き見てくださいね♪
大きい道路が続いていますが、この道を直進していくと
龍谷高校という学校が見えたりします。
反対側の道路の様子はこんな感じになります。
門が印象的な場所にはなるんですが、ここは笠岡駅から5分ぐらい
歩いたところにある笠岡市立笠岡小学校になります。
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※目印としては、笠岡市役所が近くにあります。
市役所の横隣りに隣接した道路になります。
(市役所前をいうバス停もありますので参考までに!)
今日は、な~ぜ??なーぜ、笠岡市立笠岡小学校に来たかというと、、、
笠岡にも、何か誇れるような建物ないかな???って考えていたら・・・
そうだ、ここがあるじゃないか??
・・・と思い早速来てみました。
もう見ていただいたらわかると思いますが、すごーい立派な門が
ある事に気が付きませんでしたか??❓
この門の由来なんかも交えながら、この長くて立派な屋門を見ていきます。
前々から、立派な門が”どーん”!と建っているなってぐらいに
知ってはいたんですが、果たして何なのかは?
全然知らなくて今回、興味本位で見にいってきました。
気になりませんか???
そこで、この門がどんな門なのかを見ていきたいと思います!!
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ここに詳しく書いてあることを見てみると・・・
笠岡は、慶長5年(1600)に徳川氏の直轄領となり、元和五年(1619)に 備後福山の水野氏の所領となった。 元禄十一年(1698)には、再び幕府の直轄領となり、元禄十三(1700)五月、 笠岡に初めて代官所が設けられ、以後幕末まで四十二代百七十年代官支配が 行われた。 これらの代官の中には、「いも代官」として有名な十四代井戸平左衛門正明や、 寛政十年(1798)に、郷校「敬業館」を創立した三十代早川八郎左衛門正紀 がいる
このあたりは、塀の内と呼ばれ小田県庁の跡であり、もと三方を幅5.7メートルの 濠(ほり)で囲ってあった。以前は笠岡代官所跡であり字は小丸である。 小田県庁は明治四年(1871)十一月十五日に廃藩置県の布告によって設置された 深津県が、明治五年(1872)六月五日には小田県と改称され、その県庁が笠岡に 置かれた。当時小田県(備中・備後のうち東部五郡)のほか岡山県(備前)、 北条県(美作)の三県が置かれていたが、うちでも小田県は約五十三万石の 最も大きい県であった。明治八年(1875)には、小田県は岡山県に合併された。
書いてあることが、難しすぎて理解できない感じですが、昔の記録では
こんな感じで歴史が刻まれたんだと思います。
※詳しくは市役所の方に伺ったみましょう笑( ´艸`)
それで、次にいくんですが、なんか音符みたいなのがみえますね???
地面には、足で踏める鍵盤みたいのがありますが、ここで鍵盤を足で
押すと音が出るのかもしれませんね。
※試してないのかよ~って怒られそうですが・・・
ちょうど、運良かったのか悪かったのか、、、
そこにいた子どもが遊んでまして、その子どもの遊びを
優先して見守りました。
たぶん、音が出ていた感じで遊んでいるのがわかりました。
ぜひ、行って見て本当に音が出るかは試してみてください笑
こんな感じに、長くて立派な屋門が向こうは端まで
続いています~~~
線路は続くよ~~どこまでも~~。
っと口ずさんでしまいましたが・・・
どこまでも続く門がここにはありました笑
途中、向こうは端まで行ったときに、中の様子が見えたので
撮ってみました。
やっぱり、普通の学校みたいで体育館が見えます。
中は普通に小学校でした!
来た道を戻ってみます。水路もあって風情を感じますね♪
道路の道の端にあるんですが、こう見ると別の空間みたいで、
昔で言う代官所の塀を歩いているみたいでした。
時代劇を演じているような感覚になれましたよ。
門の近くまで戻ってくると、今度は時計台のような形をした・・・
そう、あれ、、思い浮かばないので、。。
時計台にしときます
あ、思い出したのが、、櫓(やぐら)かな? 😯
やはり、この建物が一つあるだけで周りの雰囲気は変わってきますね。
すごーい重要な役割をしているのかな?
と勝手に思っています笑
さらに、さらに、戻ってみると門が見えてきました。
最初にいた場所まで帰ってきました。
特に見ていただきたいのが、こちらの門構えです。
めっちゃくちゃ存在感あって、立派な門なのが分かりますよね??
この門の由来なんかも?
あるのかどうか??
そんな所も見てきましたので見てください!!
これが、小学校の門として活用されているのが特にいいですよね。
実際に朝とかの登下校の時には、この門が開いていて、小学生が元気よく
この門をくぐっているのを見ることがあります。
実際に、今も使われていて時代の時を超えて、現代も使われている所に
深く感動させていただいております。
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校門の由来
明治五年、小田県庁が笠岡に置かれ、県庁の門として現岡山市妹尾の 戸川氏陣屋門が、ここに移築されました。 明治九年、小学校舎がここ県庁跡に移転されてからは、小学校の 校門として現在に至っています。由来は、こんな所から来ていることがわかりましたね。
屋門がここに移ってきてからは、小学校の門として
使われているそうです!!
※小学校ですので、関係者以外は出入りは禁止しているみたいですので、
門の中までは入らないようにしましょう。
校門から、向こう岸の水路を歩いて見ました。
本当にその時代に、タイムスリップした感じです。
時代劇のドラマのような感覚を体験できる
素敵な場所が笠岡にもありますね。
こちらの石板にも代官所跡と記されていて、存在感抜群です。
時代を感じれる演出に感謝してます。
まだまだ向こう端は続くみたいで、歩いて行って見ましょう♪
水路の幅が小さくなっていて塀を近くで見れるような設計になっていますね。
この心遣いが嬉しいです!!
いわゆる日本の ”おもてなし” 精神がこんな所まで見てとれますね。
勝手な僕の妄想なんですが・・・笑
これは妄想として、、、さておき。。
水草も生えていて大きく育っていますね。
代官所らしく所々に松があって、より一層この遊歩道が
代官所の感じがでていて良いですね。
ようやく端から端の所までやってきました!!
けっこう長くて、歩くのも良いし、時代も感じれて
少し違った日常を感じれるスポットとして
歩いて見るといいかもしれませんよ。
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柵越しに中を見ると、やはり普通に小学校なのがわかりますね。
この普通の空間に昔の時代との組み合わせが、
非常に面白い感じがして楽しかったです。
ちゃんと、グランドもあって小学校に来ながらも、時代を感じる
代官所の屋門を歩けるのが👍グッドでした。
学校の端から端まで、屋門が続いているのには
びっくりΣ(゚Д゚)でした!!
いつからこんな感じになったのかはわかりませんが、やはり観光として
呼び込むには、色んな地域の特色がいることが分かった気がします。
一番端にある校門を後にして、もう一度来た道を帰っていきます。
道路を渡って”パシャリ”と撮ってみました。
普通の道路の端の遊歩道にこんな素敵な場所がある事を
今更ながら気づきました。
まだまだ、こんな場所はたくさんあると思いますので、
他にもあれば、ご紹介しますね♪♪♪
ぜひぜひ、気になれば実際に行って見てください!!
非日常的な一日になるかもしれませんよ~
では、またね♪(^_-)